1年を振り返る
今年はコロナ禍で、普段していることをしなかった年だ。本屋さんにも行かなかったし、スーパー銭湯にも、居酒屋さんにも行かなかった。趣味でやっているバンドのライブ出演も、キャンプもしなかった。
でも一方で心がけたことは、「できない」ではなく「しない」ことだ。本屋さんに行けなかった、ではなく、本屋さんに行かなかった。キャンプができなかったのではなく、キャンプをしなかった。「できない」と「しない」では大きな差がある。「できない」と思えば、例えば、それを不満に思うこともあるだろう。また例えば、ストレスにもなるだろう。ところが「しない」と考えれば、しない代わりに、他のことをしたくなる。本屋さんに行かないなら、自宅に座ったままでインターネットで書籍を調べればいい。電子書籍なら、ポチっと一発、その場で買うこともできる。レジにも並ばない。重い本を持ち帰ることからも解放される。居酒屋さんには行かなければ、武蔵野中央公園や小金井公園で、野外の飲食を楽しむことができる。今のこの厳しすぎる寒さも一興だ。「雪見酒」なる風流な言葉もあるくらいだ。
さらに今年は、水彩画を始めた。絵具を使うのは高校卒業以来だから、かれこれ40年ぶりだ。公園に行くと、小さい画用紙に小さいパレットで、風景を描いている人を見る。あんな風に描いてみたいと思ったのだが、現実は冬の公園以上に厳しい。まずは手始めに静物画で「りんご」に挑戦した。数十分後に描き上がってみると、派手な迷彩服をまとった兵士がうずくまっているようにしか見えない。おもしろい。これほどヘタなら、これから上手になり放題だ。
冠婚葬祭や通院などの「他に選択肢がない」場合は、もちろんこの限りではない。そうでなければ、できないことを「できない、できない」と嘆いていても、できないことに変わりはない。それでは、それ以外の「できること」にさえ目が向かなくなる。しかし、できることを探せばいくらでもある。これは「気の持ちよう」ではない。「見方を変える」ということだ。勉強していても「わからない」「できない」と思うことがあるだろう。その時に「わからないからやらない」「できないからやらない」になってはいけない。わかるところまでやればいいし、できるところまでやればいい。文章題がさっぱりわからなければ、その問題文をノートに書き写すだけでもいい。問題を解くことができなくても、書き写すことは「できる」。何が何だかチンプンカンプンでも、「先生、さっぱりわかりません」と言えばいい。できないからといって、その一切を投げ出してはいけない。
まずは、君の「できる」を探してください。