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2019年10月 2日

小説 徳川家康

司馬遼太郎「徳川家康」を読んだ。書き上げるまでに20年、全部で26巻もある大作だ。

今後の本欄に、事あるごとに内容が引用されるだろう。

さて、久しぶりにこのブログを書く気になった(これまでも、数えきれないほど、書きたいことはあった。しかし内容が重すぎて、文章にまとめる自信がなかったのだ。)のは、2代将軍秀忠に残した遺言(の一部)を、拙著をお読みになる諸兄にぜひ伝えたかったからだ。

徳川宗家に残す遺産は、徳川家のために使ってはならない。

1.万一のおりの軍用の費として使え。

=平和を維持するための費用とせよ。

2.飢饉に備えろ。

=経済的弱者を救済するための費用。また消費するだけではなく、景気が停滞したときのために、好景気の時に貯蓄(内部留保、資産など)に努めよ。

3.天変地異と火災などの不時の災害に使え。

=為政者として、起きた災害(台風による風水害、大震災など)に対して直ちに復旧し、人心の安寧に努めよ。

いかがだろうか。この時から400年後の政治家たちに聞かせたくならないだろうか。

司馬遼太郎は、徳川家康を「徳で治める為政者」として書いている(と、私は解釈した)。そして、その「徳」という観念を、具体的な(目に見える)かたちで、私たちにわかるように書き著わしているものとして読んだ。

徳川家康、私のような凡人には及びもつかない(ということさえ僭越に思える)、みごとな帝王学を示した偉人である。

ただ読書後も、私の「尊敬する人物」ではない。なぜだろうか。

2019年8月 6日

部活動の目的は何か?

高校野球が甲子園で始まった。

このところ、佐々木選手という投手のことを耳にする。なんでも、地方予選の決勝戦では、彼の登板機会がなかった。それは監督の判断であった。その結果、彼の学校は敗戦となり、甲子園への道は絶たれた。佐々木投手さえ投げていれば...。野球はチームプレーだから、チームよりも個人を優先することは言語道断だ、という意見が多いように思える。

果たしてそうだろうか。プロ選手であれば結果(=チームの勝利)が何より優先されるべきであり、それができないならプロ選手とは呼べないと言っても過言ではなかろう。しかし、彼はプロの野球選手ではない。高校野球は部活動の一環として行われるものであり、部活動は、学校教育の一環として行われるものである。

学校教育が生徒の健康を害してまで行われるべきかどうか、そういう角度で検討すれば、また別の結論が出るのではなかろうか。

佐々木選手にしても、決勝戦で投げたかったであろうことは容易に想像できる。自分が投げなかった試合が負けたことも甘受しなければならないことも、本当につらかっただろうと思う。しかし、それこそが教育ではなかろうか。「我慢」とか「忍耐」とか言われるものは、若い、いや、青年になる前(高等学校を卒業する前)の段階で身につけなければならないと思う。その点では、今回の判断は「教育的」だったと言えるだろう。

では、彼に登板させた場合は「教育的」だったと言えるだろうか? 投げていないから、投げた後の結果(勝敗・体調など)がわからない以上、議論のしようがない。

社会では、上に立つ者(先生・監督・コーチ・社長など)の言動が常に正しいとされ、自分の判断を優先させてはならない。それが「組織」である。上の者の判断に従えないなら、その組織から離れるしかないだろう。

そんな小難しいことより、「ケガがなくて良かったじゃないか。この悔しさはプロで晴らせ。」私なら、そう言ってあげたい。

2019年6月 5日

NHKとは

最近(といっても、数年前から)、NHKの番組がつまらない。「それって、受信料を強制的に徴収してまで放送しなければいけない内容か?」って思う。

例えば、視聴率が非常に高い「チコちゃん」。確かにチコちゃんが出す疑問・問題は、言われてみればわからないことばかりだ。しかし逆に言うと、言われなければどうでもいい問題ではないか? それまで、それを知らなくても何の問題もなく生活してきたし、知ったからといって何の利益や教養の向上ももたらすことはない。ただの「興味本位」だと思う。

また例えば「ドラマ」。「大河ドラマ」やいわゆる「朝ドラ」はともかく、テーマも内容も、民放と何ら変わりのないドラマが多く放映されているように思われる。

それらは視聴率は高いが、それでいいのか? NHKが放送しなければならないことは、NHKでしか放送できない内容、つまり視聴率にとらわれず、楽しみやおかしみはないけれども知っておくべき内容ではないか。

それは地球の自然かもしれないし、生命かもしれないし、天体・宇宙かもしれない。また、公正な報道かもしれないし、歴史的な事実かもしれない。「これは見ごたえがある」と思えるような番組を期待している。

要するに、民放で事足りる番組は制作・放映する必要はないのだ。

「視聴率などどうでもいい。政治家やNHKが不利になろうと、国民が見るべき映像、知るべき事実を報道する。」

そういう「潔さ」を持ってくれないものか。

2019年5月21日

バンド紹介

今度の週末(5/26)に、「いこいの森公園」で「アースデイ西東京」というイベントがある。そして、その日の午前10:55から私たちのバンド(The Middle Age)が出演することになっている。

その自己紹介文を依頼されたので、ここでも紹介したい。

 

自己紹介ということは自己を紹介しなければならないのだろう。しかしみなさんは、中年女と中年オヤジの考えていることを知りたいか? 私は知りたくない。また個人情報保護が厳しいこの時代に、中年とはいえ、タダで個人情報を得ようとは不届き至極だ。中年になると、難しいことばかり考えているのだ。今夜は焼酎にするか発泡酒にするか、どうすればタイコ腹をごまかせるか、などだ。

人はよく「本当の自分をわかってほしい」という。しかし、本当に「本当の自分」をわかられてもいいのか? 本当の自分は、わかられては困ることだらけではないだろうか。胸に手を当てて考えてみてほしい。心臓の鼓動が聞こえるだろう。

だから私は高らかに宣言したい。私たちは私たちの道を行くことを。誰にも関心を持たれなくてもいい。愛されなくてもいい。掃いて捨てないでくれるなら。

そしてひとつだけ紹介させてもらおう。私たちは(誰も知らないだろうが)本当はステキな中年だということを。私の勘違いでなければ。

2019年5月20日

主張する者の心がけ

ある日、いつものようにサイクリングを楽しんでいる途中で、信号が赤に変った。当然、私は自転車のスピードを落として止まろうとした。その私の前を年配の女性が歩いていた。その女性にぶつからないように、わきに寄って止まろうとした。ところが、その必要はなかった。女性は、ためらいもせずに、赤信号を無視して道を横断したからだ。

とは言っても、車が通る気配はない道路だから、これはよくある光景だろう。「おや?」と思ったのは、その背中に背負ったリュックに貼られた30㎝四方の布に書かれた文字を見たからだ。

「憲法9条を変えてはいけません」

「人を殺すのはやめよう」

こういった言葉が手書きで書かれていた。

確かに、誰にでも主張する権利はあるし、正しいことは誰が言っても正しい。

しかし主張をするなら、その方面においては、清潔であるべきではないか? 強盗犯が「泥棒はいけない」と言っても、泥棒がいけないということは正しい。だからといって、強盗犯が言うことに耳を貸すか?毛虫やムカデに殺虫剤を振りまきながら「生き物すべてに命がある」と主張する声を聴くか?

憲法を守ろう、刑法を守ろう。そう言うなら、せめて信号くらい守ってほしいと思う。

「だらしない生活を送るな」「本を読め」と主張する「だらしない」あるいは「本をまともに読まない」教師の声を、生徒が聴くことはない。

2019年5月 3日

憲法記念日に思う

私は、この塾を立ち上げる前には、司法試験の受験指導校に勤務していた。

その学校(塾)の塾長は、いわゆる護憲派で、塾内に日本国憲法を研究する機関をも設立していた。

そしてまた私は、大学の法学部の出身で、憲法の教授(のちに学長となる)に師事していた。

そうした経緯で、私は日本国憲法には少なからず関心がある。少なくとも、改憲論(または護憲論)については大きな興味を持っている。

今ここでは、私がどの程度の改憲派なのか、あるいは護憲派なのかは述べないことにする。

がしかし、今日の憲法記念日を機会に、あるいはこの駄文をお読みいただいていることを機会に、日本国憲法について考えてみることも無駄ではないと思う。

例えば、今話題の航空機F35の値段は、1機あたり約150億円だという。これを100機買うとしたら、この飛行機の購入だけにかかる費用は...。で、その費用はどうやって賄うのか?また税金が上がって、それだけでなく、新しい税金を課されるかもしれない。

また、こうして武器・兵器を増強して、誰と闘うのだろう。敵はどこにいるのか。政治家からは、やたら不安をあおるコメントが出される。しかし私には、国民の不安をあおることで彼らが何か得することがあるように思えて仕方がない。

何十年も日本を平和な国家として維持し続けた現在の日本国憲法は、そんなに悪なのだろうか。

2019年5月 1日

平成大晦日

予想通り、平成最後の日と令和初日をまたぐ時間に、大勢の若者が渋谷に集まった。

改元だからといって踊ったり、変な化粧をしたり、大酒を飲むことにどんな意味があるのか理解に苦しむ。でも、まぁそれは個人の嗜好だから、私がとやかく言うことでもない。

ところが早朝のニュースを見て、かなりガッカリした。

そのニュースの天気予報のコーナーでは、渋谷のスクランブル交差点が映し出される。映し出された交差点がゴミだらけだったのだ。

平成天皇への感謝と令和への改元と新天皇の即位を寿ぐかたちはさまざまだろう。大騒ぎをしようが何をしようが、本人の責任の範囲内でやるなら、それはいい。

しかし、お祝いのあと「ゴミだらけのままで知らん顔」でいいのか? いや、そもそも、ちらかし放題のお祝いは、お祝いか?

改元とそれに伴う新天皇の即位は、アメリカやイギリス、フランスなど、多くの国で好意的に報道されている。それは、平成天皇が「日本国民の象徴」として、称えられるにふさわしいということだろう。

では、象徴している国民とはどんな国民なのか。私たちの国の天皇は、自国の象徴たる天皇の即位を祝ったあとかたづけもできない国民を象徴しているのか。あるいは、自分が住んでいる街でも他人が住んでいる街でも、その街を汚したまま(大騒ぎとは無関係な人に掃除をさせて)でも平気でいられる国民を象徴しているのか。

サッカーのワールドカップでも、ハロウィンでも大晦日でも、自分が何を祝っているのかをよく考えたいものだ。

2019年4月24日

最近のTVコマーシャル

朝起きて、朝食までの30分~40分程度、テレビでニュースを見る。主にNHKだ。NHKを見るのは、「頭が良くなるからだ」と言いたいが、残念だがNHKを見る程度で頭が良くなることはない。ただ単に、①コマーシャルがなく、②番組BGMも静かだからだ。

それにしても、どうして民放のCMは、あれほどうるさいのか。最近のCMは、①「踊る」か、②「叫ぶ」かである。清涼飲料水を飲みたびに大声で叫ばなければならないのか。車に乗る前には激しく踊らなきゃいけないのか。

もっと上品な色調で、もっと格調高い音楽で宣伝できないものか。いっそ色もなく音もないほうがいい。最も好ましいのは、闇の中で、音もなく商品を紹介することだ。

そうすれば視聴者は、CMの時間にトイレに行くこともなく、放映されているCMが何の商品かを当てるゲームもできよう。

誰の答えが正解かを確かめることはできないが。

2019年4月19日

春期講習が終わった。今度は...。

春期講習が終わったら、今度は「GW公開授業」だな。

ここでは、国語と英語を勉強してもらうが、主に国語の「文章の読み取り」を練習する。

当塾は小学校5年生からお預かりしているが、その学年から中3まで、どの学年の児童・生徒も「読み取り」ができない。ただ字面を追って読み進めることはできる(当たり前だな)が、意味を理解しながら読むことができない。

同様に、辞書を引いてその意味をノートに書くことはできる(当たり前だな)が、文章に合わせた意味を理解しているわけではない。

学校では、「形式的に音読」し、「形式的に意味調べ」をする。しかし、あくまで「形式的」(=やればいい)だから、「読んでいるだけ」「辞書を引いただけ」である。これでは国語ができるはずがない。

よし、いっちょ、文章を読むこととはどういうことかをしっかりわかってもらう。というか、「読む」ということがどういうことなのかがわかるきっかけにしよう。読むって、おもしろいぞ。

さて、気合いを入れていこう。

2019年4月 3日

令和って?

世間は新しい年号について、いろいろと喧しい。

特に気になるのが、「新元号について、どう思われますか?」などという、一般国民に問いかける、意味のない質問である。

「意味がない」とは、つまりこういうことだ。新元号を検討したのも決定したのも、われわれ一般国民ではない。だから、国民が「いい元号だとは思わない」と考えたからといっても、何も変わらない。決定した年号が新しく検討しなおされることはない。だから、その質問には意味がない、ということだ。

もちろん、考えなければならないことはある。

たとえば、なぜそれほど「国文」にこだわるのか。漢字がすでに中国から伝わってきた文字である以上、中国文化の影響は免れにくい。いかに古事記といえども同様だ。いや、むしろ古事記がつくられた時代ならなおさら中国の影響を受けているのではないか。

また、選ばれた「令」と「和」が一続きの熟語「令和」として古事記の歌に記載されているのならともかく、歌の中に別々に使われた2つの文字をひとつに合わせた言葉である。

それを「古事記から選んだ言葉」としていいのか。

いい名前なら、日本発祥だろうが中国発祥だろうが、どちらでもいいじゃないか。私は、そう思う。

おや? これは日本国憲法のことを書いた時にも言った気がする。いい憲法なら、日本が作ろうがアメリカがつくろうが、どちらでもいいじゃないか。

おっと、話がそれてしまった。

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