逆転の思考(その2)
この時期から新年度の塾を探している方も多いと思う。そこで今回取り上げる内容がこれだ。
勉強の仕方がわからないから勉強しない。
→勉強しないから、勉強の仕方がわからない。
多くの児童・生徒が口にするのが、このセリフだ。保護者のみなさんも、「勉強しようにも、どうやって勉強したらいいかがわからない」と言われれば、ついつい納得してしまう。むしろ、勉強の仕方がわからない我が子を不憫に思ったりもする。
そこで「だったら、塾に行って、勉強の仕方を教えてもらおう」ということになる。
ところが、考えてみてほしい。誰にでも当てはまる、そして簡単で、あっというまに勉強ができるようになる方法というものがあるだろうか。もしあるなら、なぜ「勉強ができる人とできない人がいる」のだろうか。
結論から言うと、「誰でも勉強ができるようになる効率的な勉強方法」など、ない。それぞれに合った勉強方法は、それぞれが見つけるしかない。そして自分に合った勉強方法は、まずは勉強を始めなければ見つからない。勉強を始めても、ああやってもダメ、こうやってもダメが繰り返される。それでも、「こうしてみればどうだろう」という試みを何度も繰り返す。そうしてついに「あぁ、こうすればいいんだ」と気づく。これがあなたの勉強方法だ。そして、この過程を「努力」と呼ぶ。
数学の例を挙げてみよう。
当塾の数学学習では、自分の「勉強の方法」を探す旅は、「書いて考える」から始まる。頭で考えて書き、書いてまた考える。決して頭だけで考えてはいけない。書きながら、ノートの上で考える。そのノートに書くことは、塾生によって大きく異なる。それは方程式の文章題だろうが、関数だろうが、図形だろうが、あるいは途中計算の筆算だろうが、何から何まで書く。正しかろうが間違っていようが、そんなことは問題ではない。書いて考えることが大事なのである。間違えたら書き直す。書いて考えれば、ミスが減るとともに、「論理的な考え方」が身につく。自分の考え方や進め方が間違っていれば、必ずそこに「論理の破綻」がある。つじつまが合わなくなる。そのことは、「鉛筆が止まる」という形であらわれるから、「あれ、おかしい」とすぐ自分で気づく。間違った時でも、消しゴムで消さない。正しい考え方と間違った考え方の両方を、後で見直すからだ。
とにかく、書いて書いて書きまくる。どの問題でもこれを行う。そうすれば、約束してもいい。必ず「自分の勉強方法」が見つかる。