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止まない雨はない...か?
何か悩みがあるときや困ったことが起こった話を聴いたとき、人はよく「止まない雨はないよ。必ず解決するから頑張れ」などと言う。私は、この言葉がなぜ励ましの言葉になるのかがわからない。例えば、自分の子供がグレてしまって手が付けられない状態になったとき、まるで雨が止むように、その子の状態は自然に改善していくのだろうか。
そう。雨が止んだり夜が明けたりするのは、それは自然の摂理だからである。一方、まじめな人の態度が悪くなったり事件や事故が起きるのは、自然の摂理ではなく、人が行動を選択した結果である。自動車を運転するから事故が起きるのであって、運転すると決めなければ事故は起きなかったのである。だから雨がいつか止むからといって、夜がいつか明けるからといって、それを人に起きた出来事にまで当てはめるのは無理があるだろう。
また「努力は実る」とか「努力はウソをつかない」とも言う。これもまた、そんなことはないだろうと思う。最も激しい努力をした人がオリンピックに出場できるか?出場できなかった人は努力不足なのか?努力すれば、必ず試験に合格できるか?試験の得点順位は、必ず努力量に比例するのか?
むしろ、ウソをつかないのは「努力」ではなく、「怠慢」であろう。努力しても希望がかなわないことがあるが、怠けていれば(ほぼ)間違いなく希望通りにはならない。
結局のところ私たちは、望む結果に向かって、ひたすら努力を続けることしかできないのだろう。そして、努力の結果に対しては、受け入れることしかできないのだろう。雨が止むのを待つヒマがあったら努力をせよ。努力が実ることを祈るのではなく、実る努力をせよ。そして、望まない結果が出たとしても、ひたすら耐えよ。そしてまた、立ち上がれ。
2021年12月10日
コロナと日本人気質
「沈没船ジョーク」という、民族性や国民性を大げさに皮肉ったジョークがある。
沈没しかけた船から海に飛び込むように説得する場合、
アメリカ人には「飛び込めば、君は英雄になれるぞ」
イギリス人には「飛び込めば、君はジェントルマンになれるぞ」
ドイツ人には「規則ですから、飛び込んでください」
そして日本人には「みなさん飛び込んでいますよ」だ。
このジョークは、日本人は主体性や自主性、あるいや自己主張や主義が稀薄であることを皮肉ったものである。「他人がするから」とか「みんなが見ているから」という理由で行動を起こす日本人が(私を含めて)多数いることは否定できない。
そしてこの気質を、欧米人は否定的な捉え方をしてきたし、今でも肯定的にとらえているとは思えない。
ところが、だ。この「みんながするから」「みんながしないから」が、今回のコロナウイルス第5波が衰えて、今なお抑えられている大きな原因の一つだと、私は考えている。
日本人は、なかなか自分から言い出さない。また、自分から行動を起こさない。だから「外出は控えましょう」と言われれば、「そんなのは人権侵害だ」と騒ぎ出す人はいない。少しは不満に思うであろうが、すぐに受け入れる。欧米のように、強権的なロックダウンなど必要ない。激しいデモなどの暴力的な反対行動もない。政府の決定に誰も反対しないから自分も受け入れる。マスクもきちんとする。手の消毒も欠かさない。公共の場所では声のトーンも下げる。みんながそうしているからだ。
コミュニケーションがとりづらい、本音で話さない、同調圧力で行動が縛られる、などの欠点があることは理解できる。しかし一方では、円満な社会生活を営むために日本人が長い歴史の中で生みだしてきた「みんなに合わせる」という姿勢は、まんざら悪くないように思える。