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2024年6月20日

夢を与える

「僕の優勝が、みなさんに夢を与えられて、とても嬉しいです。」
「君の活躍が、国民に希望を与えるんだ。」
気になる。なんか気になる。この「与える」が。

夢を「与える」、希望を「与える」。ものすごく高いところから、ものすごく低いところの人たちに向かって言っているような気がする。

英語の「give」を初めて学ぶとき、それは「~を与える」と訳すことが一般的だ。しかしだからと言って、
I will some water to flowers. を「私は、花に水をやります(与えます)。」と訳すことはあるだろうが、
I will give him this book. を「私は彼に、この本を与えます。」と訳すだろうか。
犬にエサを与えることはあるが、友達にお菓子を与えるだろうか。友達には「あげる」のではないか。
お誕生日には花を「与える」のではなく、「贈る」のではなかろうか。

高いところから言っているつもりも、悪気があって言っているのではないことも、十分に承知している。
またこの言葉(与える)が、必ずしも目下に対するときだけの言葉ではないことも承知している。
でもやっぱり、なんか気になる。

気になるといえば、「~しかない」も気になる。
「監督には、感謝しかありません。」
「この結果には、驚きしかありません。」
おそらく、心から感謝していることを伝えたいのだろうし、予想もできなかった結果に大いに驚いていることを伝えたいのだろうことは想像できる。
それにしても、「感謝しかない」「驚きしかない」は、どうも薄っぺらい感じがする。

「勇気を与えてくれたみなさんには、感謝しかありません。」よりも、
「いつも僕を勇気づけてくれたみなさんには、お礼の言葉もありません。心から感謝しております。」
これでは、「感謝の気持ち」が伝わらないのかなぁ。

2024年5月 7日

さて、受験勉強だ。

大型連休も終わった。
まぁ連休と言っても、光輝学院には祝日も祭日もない。塾の休日は日曜日だけだ。
そうは言っても、中学生や小学生にとっては大事な連休だったろう。それが、今年も終わった。
ということは、これからが受験生にとっての本格的な受験勉強の開始ということになろう。これから、部活の都大会が終わる夏までの期間が、中学3年生にとって最もキツい時期だ。部活も大変で受験勉強もしなければならない。体も頭も、へとへとに疲れる。学校の定期テストもある。

受験勉強とは結局、努力できる人なのかどうかが試される期間だと思う。
以前も述べたが、幼稚園・保育園から小学校・中学校と、何も考えなくても何もしなくても進学できた。しかしこれからは、そう簡単にはいかない。
成績が伸びない生徒の傾向は、こうだ。
学校に行っても、自分と比べるのはいつも「自分よりも学力が劣る生徒」だ。「あいつよりマシだ。」「あいつより成績が上だ。」と考える。定期テストも、得点は低いが、あっている問題もある。だから安心していられる。決して「自分よりもデキる生徒」とは比べない。比べたら安心していられない。勉強しなければいけなくなる。
それでも、自分は自分なりに考えている。やらなきゃいけない日がくれば、やってやる。今はヤル気が出ないだけだ。
成績が伸びる生徒は、全く正反対の考え方だ。
どんなにほめられても、「もっとデキる生徒がいる。」「ここを間違えてしまった。」と考える。だから努力を続ける。彼らは「自分よりもデキる生徒」「自分が掲げた目標」と比較する。目指すものに向けて、努力を惜しまない。
これでは、生徒間の学力差はますます広がるだけだ。

ヤル気が出るのを待っていられない。ヤル気が出る方法などないからだ。いつまでたっても、多くの受験生がヤル気を持たないまま受験を迎えることになる。
① ヤル気が出るから勉強し、
② 勉強するから成績が上がる。
③ そして、ますますヤル気が出る。
④ ①に戻る。
そんな都合のいい話は、そうそうあるものではない。
まず②から始める。そう、勉強しよう。行動しよう。
勉強するから成績が上がる。すると、ヤル気が出る。ますます勉強し、成績が上がる。
と、こうなる。

夏期講習が終われば、ほぼ受験勉強が終わる。それまでに「勉強習慣」「自分なりの勉強方法」「使うテキストや問題集」などが定まれば、あとはそれを続けるだけだ。

大型連休が終わった、今が勝負時だ。

2024年3月26日

中学1年生の勉強の進め方

当塾の本年度も始まって、もうすぐ1か月が経つ。
中学1年生の授業は英語と数学だけだ。
両科目とも、ゆっくりと進める。
数学は、「解ければ良い」というものではない。当塾の中学1年生は、必ずしも解ける必要はない。最も大切にしていることはふたつあり、ひとつは「問題を自分の言葉で説明できる」こと、言いかえれば「何を求めなければならないか」がしっかりとわかること。もうひとつは「自分が考えた過程を自分の言葉で説明できる」ことだ。これは「解き方の説明」ではない。「なぜ、そう解いたか」と言ってもいい。
このふたつをまとめると「論理的な考え方」ということになる。
小学校の算数は、誤解を承知で言うと、誰でも高得点が取れる。算数が嫌いにならないように、誰でも80点以上取れる。しかも、先生の教えた通りに解くだけでいい。ほとんど考える必要はない。むしろ、ゲームをするような、一種の「反射」のようなものである。
中学校の数学は「反射」「ひらめき」だけでは解けない。たとえ解けても、それを「学力」と言うかどうか疑問だ。
英語は、まずは「発音」だ。国語は、多くの場合、文字が丁寧であることと成績とが比例する。丁寧な字を書く生徒は、一般的に国語の成績も良好だ。しかし英語は、文字の丁寧さと学力が比例しない。何と言っても、発音だ。それは、漢字が表意文字(意味をあらわす文字)である一方、英語は表音文字(発音をあらわす文字)だからだ。読めなければ、できない。
中学校の入塾者のほぼ全員が、小学校で英語を学んだにもかかわらず、アルファベットさえまともな発音ができない。だからまず、小学校の学習を忘れさせるために、アルファベットの読み方と、身近な単語(机やペン、鉛筆、リンゴなど)の読み方をじっくりと行う。同時に「発音記号」も読めるようにする。ということは、英和辞典(学校推奨の簡単な辞書ではない、大学入試にも使えるもの)の引き方も身につけてもらう。
これら「数学の論理的思考力」と「英語の発音」がどれだけ大切かを知ってもらうために、丸1か月を使う。
急いではならない。ゆっくり、じっくり。何度も何度も繰り返し、誰かに説明できるほどになったら、次に進む。
人ひとりの進み方(学習の習得度)がずいぶん違う。当塾は決して個別指導塾ではないが、一人ひとりの進み方に合わせた授業になっている。

2024年2月29日

2023年度が終わる

本年度も、今日2/29で終わる。
ということは、明日からは2024年度の授業が始まる。
ということは、本年度の授業がすべて終わったということだ。

ためしに、中学生に訊いてみた。
「もう期末テストは終わったんだよね?でも、これから終業式まで勉強は続くんだよね?期末テストの範囲以降の内容は、もうテストされないの?」
「理科は、次の学年に引き継がれます。」
「じゃ、進級しても、理科は今の学年の教科書を使い続けるの?」
「はい、そうです。」
「ほかの教科は?」
「テストされないものもあります。それどころか、あとは自分でやっといてって言われることもあります。」
というように学校は、教科によって、当年度に終わりきらないものもある。そして、その後の対応もまちまちだ。

当塾の中学の勉強は、3年間で3学年の学習をするつもりである。従って1年生と2年生は、その学年度内に済まさなければならない学習内容を積み残している可能性がある。それでも、受験に間に合わなかったことは一度もない。
というよりも毎年、ほとんどが年度内で学習を終えている。
というよりも毎年、1月頃にはテキストを終了し、復習を行っている。

「学校教師は忙しい」と、よく言われる。授業が年度内に終わらないことも、教師の多忙が理由なのだろうか。
それとも、何でもかんでも、教師の多忙を言い訳にしているのだろうか。

明日から、また頑張ろう。

2024年1月18日

本を読めば、国語ができるようになる。か?

またまた、塾生(小学生)から質問された。
「読書をすれば国語ができるようになるって、学校の先生が言っていました。本当ですか。」
年に1度は質問されることだ。
「僕は、そうは思わないよ。」
私は、決まってそう答える。

確かに、読書を趣味にしている人(読書量が多い人)は国語を含めた教科の成績がいい傾向にあるのかもしれない。しかし、だからといって直ちに「本を読めば賢くなる(小中学生なら、勉強ができる人)」と思わない。
「本を読む人は頭が良いように思う。実際にそうかもしれない。でもそれは、本を読むから頭が良いのではなく、頭が良い人が本を読むのだと思う。」
「本を読むには、言葉や表現の知識、文脈の把握力、辞書を引く力など、さまざまな能力が必要だ。これらの力がないのに本を読もうとしても、無理だと思う。」
「夏目漱石の本はおもしろくないと言う人は、夏目漱石の本を理解する力がないのかもしれない。」

生時代に読もうとした、いや実際には読もうとしたのではなく、読んでみた。いや、読む努力をした。しかし、歯が立たなかった本が何冊かある。例えば、カントの「純粋理性批判」やプラトンの「ソクラテスの弁明」、デカルトの「方法序説」などだ。
さっぱりわからなかった。プラトンもデカルトも、読み終わっても、何を読んだのかわからなかった。純粋理性批判に至っては、最初の数行で諦めた。何度挑戦しても、読み続けられない。すがすがしいほど、さっぱりわからなかった。

だからといって、これらの本がおもしろくないはずがない。おもしろい(=知性に訴える)本だからこそ、時代を越えて読まれ続けているのだろう。
私に、それを読み取る力量がなかった(今でも、ない)だけだ。

まずは勉強しよう。小中学生にできることは、まずは教科を勉強することだ。そして疑問を探すことだ。
光は屈折するということを当たり前のことだと思わずに、なぜ光は屈折するのかと問いかけよう。
自分に問いかけ、考える。それでもわからなければ質問すればいい。
そうして最初に「知識」が身につく。身についた知識が増えれば増えるほど、その知識を材料にして考えることができる。そう「思考力」が身につく。
そうして「頭が良くなる」と思う。
そうすれば、読書は楽しくなる。そして、どの本も理解できるようになる。
私はまだ「楽しい読書」だ。
私も、勉強不足かもしれない。

2024年1月 2日

新年

新しい朝が来た

希望の朝だ

喜びに胸を開き

大空仰げ

ラジオの声に

健やかな胸を

この薫る風に開けよ

それ 1 2 3!

2023年12月 4日

答えにたどり着くまで

光輝学院は、答えが「あっている」か「まちがっている」かは、大した問題ではない。
小学校から高校までの勉強とは、新しいことを学び修得することであろう。新しいことに取り組み続けるのだから、その問題を解いて、間違うことも少なくないはずだ。
大切なことは、正誤よりも、「自分は、どんな考え方をしたか」であり、間違っていた時も「なぜ、自分の回答が間違っているのか」「なぜ、その正答になるのか」である。
ところが多くの生徒は、「正しい答えは何か」ばかり追求する。正しい答えに至る考え方や正しい答えに必要な知識などには、ほとんど関心を持たない。
だから例えば数学など、
生徒「問2の答えは2です。」
講師「いいえ、違います。」
生徒「じゃ、-2です。」
となる。
この「じゃ」とは何なのか。「2」でなければ「-2」だ。この姿勢を「勉強している」というのか。答えが「2」になる考え方が間違っていたなら、その考え方のどこに誤りがあったのかを考えなければならない。さらに正答が「-2」なら、なぜその答えになるのかを考えなければならない。
自分が導き出した答えが合っていても間違っていても、どうでもいいではないか。間違うことで学ぶことがあるなら(むしろ、間違うからこそ学べることが多いのだが)、間違うことは決して悪いことではない。自分の答えが合っていたとしても、「教えられたとおりに解いたら、それが正答だった」というのでは、何も身につかない。
また、答えにたどりつくまでの道のり(思考過程)は、ひとつとは限らない。
例えば「三角形の合同」を証明する場合でも、「2辺とその間の角がそれぞれ等しい」で解いた生徒もいれば、「1辺とその両端の角がそれぞれ等しい」で解いた生徒もいるかもしれない。そしてそのどちらの解法も論理的に正しいのかもしれない。正答がひとつでも、思考過程・論理展開がひとつだとは限らないのである。
最初に発表し正答した生徒の解法と自分の解法が違っていても、直ちに自分が間違っていると判断せずに、自分の解法が正しかったのかどうかを確認しなければならない。
小中学生の学習は、黙って進めてはならない。ただ座って話を聞いているだけではなく、しゃべって、書いて、失敗を恐れず進めなければならない。
よく「わからないところがわからない」というが、それ以上しゃべることができなくなったとき、それ以上書くことができなくなったとき、そこがわからない場所だ。
わからないところがわかれば、あとは「やるだけ」だ。
そう。間違いを恐れず、しゃべって考え、書いて考え、考えてしゃべり、考えて書く。それが勉強だ。
これに尽きる。

2023年10月19日

競争心について

「最近の若者は、競争心がない」と、私が若いころ(というより、子どものころ)には、よく言われたものだ。
そして今まさに、私も同じことを思う。
思い返せば、私が子どものころ(1960年代から1970年代)は、経済が右肩上がりで、生活が目に見えて良くなっていった。例えば、白黒テレビが普及したと思ったら、すぐにそれがカラーテレビに買い替えられた。各家庭に自家用車があり、食卓の風景も洋風へと変化していった。
程度の差こそあれ、誰でも生活が改善していくことを実感できた。
特別に誰かと競争しなくても、誰かに勝たなくても、ある程度の生活の向上があった。そのことに満足しない、一部の(どの分野であれ)「優等生」が、高い目標を思っていたように思う。
親や教師は、私たちを激励した。「頑張れ、頑張れ。そしていい学校に入り、いい会社に入れ。エリートになれ」と言って、現状に満足させずに、もっといい生活を送らせることを望んだ。
普通以下の成績の私には、まったく響かなかった。それは「競争心がない」と批判されても、競争心を持つ必要性を感じなかったといったほうがいいかもしれない。
そして今。
見かけ上は、かつてと同じ「競争心がない、競争心に欠ける」児童・生徒がいる。現在は、競争心や向上心や野心がなくても、普通程度の生活を送ることができるわけではないのに。
競争心が欠けている背景は、私たちのころとは違っていると思う。前述の通り、私たちのころは、努力などせずともある程度の生活ができた。そして「終身雇用」と「年功序列型賃金」で、老いるまで安泰だと考えられた。
今は違う。不謹慎なことは承知で言うが、小学校と中学校の生活で、教師に「飼いならされた」状態のように思う。
自主性と言いながら、校則でがんじがらめな学校生活。反対意見は言えないホームルーム。板書通りにノート作りをしなければならない授業。わからないことを質問しても「自分で考えろ」と言われる。「じっくり考えて解く」ではなく、膨大な問題数を公式などの「解き方で処理していく」定期テスト。宿泊学習や修学旅行、運動会などの行事でも同様だ。すべて先生たちの指導に従わなければならない。教わった通りにしなければならない。自分の考えをさしはさんではいけない。「はい」しか言えない。
競争心や向上心など持てない生徒だらけになるのもわかる。思考が停止している状態だからだ。
教育の役割は「知識の伝達」ではない。
そうは思わない、なぜだろう、こうだったらどうなるのか、他に方法はないのか。考える内容は山ほどある。そのひとつひとつに丁寧に向き合い、教師と生徒がともに成長することこそが教育であるはずだ。そしてともに成長する教育があるからこそ、競争心や向上心が生まれるのだと思う。

2023年7月27日

今年も夏期講習

暑いぞ、今年の夏は。本当に暑い。
と不満を言っても、何も始まらない。暑いのは、誰でも同じだ。だったら、何も言わないに限る。

夏期講習だ。そう、始まったんだ。
中3生は、夏期講習が終わると同時に受験もほぼ確定する。
受験というのは、入試までの受験勉強量、成績の向上度合い、受験校の偏差値範囲などなど。

夏期講習が終わっても受験が確定しないのは、私の指示通りに生活してくれる塾生だ。
受験生には、「夏休みは、1日あたり12時間の勉強」と言っている。

ありがたいことに、毎年の受験生がこれを守ってくれる。
だから秋以降、どんどん実力が上がる。
このような塾生は、夏が終わったからといって、この先のことが予想できるわけではない。計り知れないほどの成長を見せる塾生になる可能性がある。

例えば中3生でも、中2の学習範囲である「一次関数」「平行と合同」「三角形と四角形」の分野を勉強したいという者には、中2の授業に参加する。授業料は要らない。
このような主体的な勉強ができるようになればしめたものだ。

これまでどれほど勉強をサボっていても、中3の夏期講習と補習で100時間、中2の授業で40時間、そしてそれらの復習と理科社会を自宅学習。
夏休み中の勉強時間は、ざっと400時間を超える。

さて、夜の授業の準備にかかろう。

2022年12月30日

天子蒙塵

この秋、浅田次郎氏の著書「天子蒙塵」を読んだ。
読んだ、と言っても、そこに至るまでが長かった。
なぜなら「天子蒙塵」は、「蒼穹の昴3部作」と言われる「蒼穹の昴」「中原の虹」「珍妃の井戸」に続く4作目だからだ。4作目ということは、1作目の「蒼穹の昴」の内容を詳しく覚えているわけではないから、また1作目から「珍妃の井戸」までを読みなおさなければならない。
なにしろ登場人物が多い(愛新覚羅家の系譜に出てくる、特に乾隆帝以降20人くらい。その他、張作霖が率いる馬賊。袁世凱などの中国政府要人など)し、出来事も多い(義和団事件、張作霖爆殺事件、戊戌の政変など)。しかも、長い。3部で10冊。しかし、面白い。面白いというより、いい。すごく、いい。
浅田次郎氏は、純文学からユーモアエッセイまで、とても幅広い分野の作品が楽しめる。
全てに共通するのは、信じられないほどの豊富な語彙数、信じられないほどの豊かな表現力、全体を通しての文章構成力だと思う。そして出来上がった作品は、どんなに難しくても、辞書や地図帳などを調べてでも理解させずにはおかない魅力を持つ。
例えば山岡荘八氏の「徳川家康」は26巻もあるが、一貫して史実通りの歴史文学だ。しかし浅田氏の作品は、架空の人物や事物も取り入れられ、山岡氏や吉川英治氏の作品とはまったく異なる。史実通りではない。だから歴史小説とは言わないだろう。
蒼穹の昴、ぜひ一度お読みいただきたい。そして、西太后と春雲(架空人物)とのやりとり、春雲の嘆き、張作霖の言葉、それらを堪能していただきたい。

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