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2025年5月 8日

そう。最近の若者が頻繁に使う「やばい」「えぐい」あるいは「かわいい」などの言葉は、意味を持っているのだろうか。
どうして、そう思うのか。

一般的な20歳以下の人たちを考える。
すごくおいしいラーメンを食べたとする。その感想で、「やばい」は使わないだろうか。一方で、すごくまずいラーメンを食べた時に「やばい」は使わないだろうか。
野球で、大きく曲がるスライダーの投球を見た時、「えぐっ」と言わないか。あるいは、どこかの国の暴動で多数のケガ人の報道を見た時、「えぐっ」とは言わないだろうか。
つまり、好ましく感じた時も嫌悪感を感じた時も「やばい」「えぐい」が使われる。しかも、ひんぱんに。
いい時も悪い時も使われるのだとすると、それはもはや「感想」とは言えないのではないだろうか。
何を見ても、何を食べても、何をしても。うれしくても悲しくても、楽しくても怒りを感じても。いつでも何でもかんでも「やばい」「えぐい」では、「ただ言葉を発しました」でしかない。

似たように感じる言葉が「かわいい」や「きもい」である。
幼い子供や動物を見た時「かわいい」と感じることはわかる。「きもい=気持ち悪い」も、強い不快感を覚えた時に使うことはわかる。
ところが最近(といっても、もう10年以上も前からだが)では、必ずしも、そのような場面でだけ使われているのではないようだ。
少しでも自分の好みや感覚に合致すれば「かわいい」、少しでも自分の好みや感覚に合わなければ、とたんに「きもい」が使われる。
何かを見た時の感想は、「かわいい」か「ふつう」か「きもい」である。自分の感想を表現するときの言葉が、たった3種類である。極めて単純な分類である。

難しい言葉を使ってほしいわけではない。ただ、「あいまいな表現」「何にでもあてはまる表現」「単純な分類」ばかりでは、日本人としての感性が養われないような気がする。
その結果、誰かとコミュニケーションをとる時でも、相手が一体どう思っているのか、何が言いたいのか、どう返事をすればいいのか、そういったことを理解しえないまま会話が進むような気がする。
それを「コミュニケーション」「会話」と言えるか?

当塾では、使ってはいけない言葉がある。「やばい」「えぐい」も、もちろん使ってはならない言葉である。

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