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2022年4月28日

定期的にブログを書く

また叱られてしまった。そう、またもや「早くブログを書け」と、卒塾生から命令された。子どものころは母に叱られ、学校では先生に叱られ、社員のころは上司と顧客に叱られ、結婚したら妻に叱られ、講師になったら在塾生と卒塾生に叱られている。これではまるで、夏休み残り1週間前になっても宿題に取り掛からない小学生のようではないか?ついこの間までは、私が指導する立場だったではないか。それとも実は、私が気づかないだけで、私が君たちに指導させられ続けていたのか?
確かに塾の方針は「学習とは、筋道立てた考え方を身につけること」と指導してきた。だからと言って、筋道立てて私を催促するのはやめてくれないか。何も言い訳できないではないか。これでも今年の正月には「今年こそは、ブログを定期的に書きます」という誓いを立てたんだ。これで5年連続の誓いだ(むしろ、5年も継続して誓いを立てる辛抱強さを誉める懐の深さを持ってほしい)。でも「定期的」を定義することは難しい。「毎週1回」や「毎月10日に」が定期的で、私のブログのように「1/31の次が2/19、その次が4/28」が不定期だとは直ちには言えないのだよ。「1/31、2/19、4/28」を毎年繰り返せば、それが「定期的」「規則正しい」だとも言えるのだ。「2時ころにカップラーメンを食べて、3時ころに寝て、13時ころに起きてゴロゴロする」ということを毎日繰り返せば、それはそれで「規則正しい」という非常に嬉しい結論になる。たとえその生活が望ましいものでなくても、規則正しい生活を送っていると胸を張って言える。
それにしても、なかなかブログを書かない正当な理由を正々堂々と述べても、少しも正々堂々とは思えないし、自分が正しいとは思えないし、むしろ後ろめたささえ感じるのはなぜだろう。
不本意だが、「定期的」「規則的」の定義を再構築しなければならない。その論理を構築するだけで2~3か月はかかりそうだ。今後しばらくはブログに取り掛かれそうにもない。

2020年1月22日

お弁当の思い出

私は、中学校までの学校での昼食は給食だった。

内容は今の給食と比べるべくもないし、出身がかなりの田舎だったためか、とても素朴な給食だった。しかし、味はといえば、とても美味しかった。

それが、高校に入学とともに「お弁当」になった。それはそれで楽しみではあったが、当時のお弁当箱はアルマイトという金属製で、ふたを開けると、ふたの裏側にご飯がくっつき放題だった。お腹が空いた状態でこれを一粒ずつ取るのが面倒で、ついついふたのご飯を残したまま食事を終えることが多かった。

ところが、いつのまにか一緒にお弁当を食べるようになったK君というクラスメートが、ふたのご飯をすべて食べ、お弁当箱の隅に残った一粒も残さなかった。

ある日、何気なく私は彼に声をかけた。

「K君、やるなぁ。いつもご飯粒を残さないで、全部食べるんだね。」

するとK君が答えた。

「うん、ウチは農家だからね。」

私は、この一言にやられた。

彼が食べるお米と私が食べるお米は、お米に変わりはないのに、それが持つ意味は全く違っていた。

私は16歳のその時から58歳の今に至るまで、用意された食事は必ず完食することにしている。食べきれないと判断したときは、私が箸をつける前に、同席する誰かに一部を食べてもらう。

「うん、ウチは農家だからね。」

「もったいない」とは、どういうことかを教えられた。

2019年12月23日

ブログの目的

ツイッターやらインスタグラムやら、不特定を相手にしてコミュニケーションをとることが大流行だ。

私もフェイスブックくらいは、やっていた。そう過去形だ。

今は何もしていない。このブログでさえ、めったに書かない。

世間一般に聞いていただきたいことはヤマほどある。しかし、その大抵がたいしておもしろくないのではないかと思うと、つい二の足を踏む。

私が書こうとすることがみなさんにおもしろいとは思えないのは、みんながおもしろいと思うことが、私には別におもしろくもなんともないからだ。

例えば「インスタ映え」なる言葉がある。私は誰かが食べたものを見たいとは思わないし、きらびやかなものを画像で見ても、「ふ~ん」としか思わない(から見ない)。

この時期、イルミネーションが美しいといっても、ただの電灯であり、人工のLEDのきらめきである。蛍が、せせらぎを背景に、ふわふわと浮かんでいるのとはワケが違う。

だからといって、私はロックが好きで、ロックバンドを組んでいるが、その話をここでは書かない。教育とは何も関係ない部分で、私自身の楽しみとして遊んでいるからだ。

このブログをご覧になるということは、やはり教育に関する私の意見や活動をお知りになりたいのだろうと思う。

では、やはり次回からも教育あるいはそれに関することを書き続けることにしよう。

ね、こんな文章を読んでも、つまんないでしょ?

2019年11月21日

塾生からの相談

1.僕は歩くとき、両手が前後ではなく、いろいろな方向にぶらぶらと動いてしまう

  のですが、なぜでしょうか?(男子)

A.「賢く見える人」はどんな人かというと、それは「賢い人」である。「だらしなく

  見える人」は実際に「だらしない人」である。「歩くとき、手がぶらぶらする人」

  は「ぶらぶらした人」なのだ。まずは、生き方を変えてください。

 

2.幽霊はいますか?(女子)

A.知らない。ただ、幽霊といえば「女」「猫」と、相場は決まっている。間違っても

 「うに」や「カメムシ」の幽霊など見ない。また「ネアンデルタール人」や「中年

 オヤジ」の幽霊の話も聞いたことがない。「恨みを持っているから」というが、中年

 オヤジは恨みを持たないと言うのか。中年オヤジは恨まないのではない。「恨み方を

 知らない」、または「恨んでも誰も関心を持ってくれない」、または「中年オヤジの

 くせに、恨みを持つな」と中年オンナに叱られるのがオチだから、何もないフリを

 しているだけなのだ。幽霊になったところで、袋叩きにあうだけだろう。

2019年3月20日

今日は卒業式

そう、今日は市内の中学校では卒業式が行われている。

多くの卒業生が、初めての「受験」を経験したことと思う。

希望通りの結果だった人もいれば、そうでない人もいるだろう。

毎年言うが、大切なことは結果ではない。「そこに至るまでの課程」と、「得た結果を次にどう結び付けるか」だ。

がんばったからといって、常にうまくいくわけではない。ということは、頑張らなかったら、絶対にうまくいかない。そこから何を学ぶか。

いつまでも浮かれているわけにもいかないし、いつまでもクヨクヨしていてもいけない。

さぁ、ここでリセットだ。

顔を上げろ。声を出せ。

「よし、次、行くぞ。」

2015年4月27日

このブログを

ありがたいことに、学校の先生も読んでくれているようだ。

先生と話をしているうちに、「教育のプロたちは、これを読んで、私に、あるいは塾業界に失望するだろうか。」って、少し考えた。

そこで自分の弱さに気づく。常日頃、「塾講師は学校教師以上に研鑽を重ねている。予習・復習・指導方法・個別対応その他、どれをとっても、学校教師を凌いでなければならない」と思っているはずなのに。

司法試験受験指導校を含めると、教育業界に就いて20年を超える。それでも、私よりも経験の少ない若い学校教師と話をしていると、「この教師はスゴイんじゃないか。」と思う。

まだまだ努力が足りないってことだ。

先生たち、頑張ってください。きっと私は、もっともっと頑張ってみせます。

そして子どもたち、よく見ていろ。学んでいる君の努力など、教える俺たちの努力には足元にも及ばないぞ。悔しかったら、いつの日か、俺たちを超えてみろ。

2015年3月24日

卒塾生が来てくれた

今日、この塾を卒業した元塾生が「大学を卒業しました」と、挨拶に来てくれた。

高校受験のために通塾した生徒だから、まる7年ぶりである。

卒塾して7年たっても、この塾のことを忘れずにいてくれたことがとても嬉しい。

一方、昨年度の受験で卒塾したにもかかわらず、まるで塾生のように来塾し、「センセ、学校でわかんないのがあったんだけど。」と、当たり前のように質問してくる女子高生。ついでに「センセ、今日のその服、ヘン。あははは。」

大きなお世話だ。

このような子のことも喜ぶべきなんだろう、きっと。

2015年3月18日

卒業

3月、卒業の時期である。この塾からも、少なくない生徒が卒業してゆく。

冬の厳しさに耐えた桜だけが、春、花を満開に咲かせることができる。

土の暗さに耐えた蝉だけが、夏、思う存分に鳴くことができる。

どんな咲き方か、どんな鳴き方か、それは僕にはわからない。

しかし、この塾で「考える力」と「耐える力」を身につけた君たちは、君たちにできる限りの生き方をするだろう。

一方では、困難に耐えたのに、実を結ばなかった者たちもいるだろう。

それは、ただ単に「今ではない」というだけだ。君にとってふさわしい時期がきっと来る。

その日まで、あきらめずに頑張れ。太陽は、みんなを、同じだけ照らしているぞ。

2015年3月 4日

新年度

2015年度の高校入試が終わった。塾生全員が第一志望校に合格できたわけではない。しかし、みな、自分の受験生活を振り返って、「受かる高校」ではなく「受かりたい高校」を受験したことは立派だと思う。

さて、2015年度が始まった。新年度からこの塾で勉強を始める生徒がいる。昨年度の勉強を続ける生徒がいる。どの生徒も、「今年こそは」の気持ちで新しい学年の勉強を始めた。

任せておけ。この塾には、僕と大山講師がいる。

大山講師のおかげで、「厳しい光輝学院」から「厳しい先生と穏やかな先生の光輝学院」になった。

今年も、授業が楽しみだ。

2014年12月 5日

よく言った!

塾生が通う中学校では、定期テストで前年のものを使っていることが多い。だから近隣の塾では、定期テスト前になると、前年度のテストを丸覚えさせる。当然の結果として、内申点が異常に上がる。そして、実力以上の都立高校に推薦で合格する。実力以上の学校に進学したため、校内の成績順位は著しく低く、場合によっては1年生で退学する。

こういうことがわかっていて丸覚えさせる塾も塾だが、それを黙って見過ごす中学校も中学校である。

「内申点のために、みんなも去年のテストを覚えたいか? もしそれを希望するなら、そうするぞ。もちろん、僕は反対だが。」と、中学3年生に訊いてみた。

「そんなのダメだよ。ちゃんと勉強したい。」

「それでいい点が取れなくても、それが今の実力ならしょうがないよ。」

「高校受験がゴールじゃないんでしょ? その先も頑張らなきゃいけないんでしょ? じゃ、今から頑張っとかなきゃダメじゃん。」

だって。

いい生徒に恵まれたもんだ。