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2024年1月18日

またまた、塾生(小学生)から質問された。
「読書をすれば国語ができるようになるって、学校の先生が言っていました。本当ですか。」
年に1度は質問されることだ。
「僕は、そうは思わないよ。」
私は、決まってそう答える。

確かに、読書を趣味にしている人(読書量が多い人)は国語を含めた教科の成績がいい傾向にあるのかもしれない。しかし、だからといって直ちに「本を読めば賢くなる(小中学生なら、勉強ができる人)」と思わない。
「本を読む人は頭が良いように思う。実際にそうかもしれない。でもそれは、本を読むから頭が良いのではなく、頭が良い人が本を読むのだと思う。」
「本を読むには、言葉や表現の知識、文脈の把握力、辞書を引く力など、さまざまな能力が必要だ。これらの力がないのに本を読もうとしても、無理だと思う。」
「夏目漱石の本はおもしろくないと言う人は、夏目漱石の本を理解する力がないのかもしれない。」

生時代に読もうとした、いや実際には読もうとしたのではなく、読んでみた。いや、読む努力をした。しかし、歯が立たなかった本が何冊かある。例えば、カントの「純粋理性批判」やプラトンの「ソクラテスの弁明」、デカルトの「方法序説」などだ。
さっぱりわからなかった。プラトンもデカルトも、読み終わっても、何を読んだのかわからなかった。純粋理性批判に至っては、最初の数行で諦めた。何度挑戦しても、読み続けられない。すがすがしいほど、さっぱりわからなかった。

だからといって、これらの本がおもしろくないはずがない。おもしろい(=知性に訴える)本だからこそ、時代を越えて読まれ続けているのだろう。
私に、それを読み取る力量がなかった(今でも、ない)だけだ。

まずは勉強しよう。小中学生にできることは、まずは教科を勉強することだ。そして疑問を探すことだ。
光は屈折するということを当たり前のことだと思わずに、なぜ光は屈折するのかと問いかけよう。
自分に問いかけ、考える。それでもわからなければ質問すればいい。
そうして最初に「知識」が身につく。身についた知識が増えれば増えるほど、その知識を材料にして考えることができる。そう「思考力」が身につく。
そうして「頭が良くなる」と思う。
そうすれば、読書は楽しくなる。そして、どの本も理解できるようになる。
私はまだ「楽しい読書」だ。
私も、勉強不足かもしれない。

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