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2023年10月19日

「最近の若者は、競争心がない」と、私が若いころ(というより、子どものころ)には、よく言われたものだ。
そして今まさに、私も同じことを思う。
思い返せば、私が子どものころ(1960年代から1970年代)は、経済が右肩上がりで、生活が目に見えて良くなっていった。例えば、白黒テレビが普及したと思ったら、すぐにそれがカラーテレビに買い替えられた。各家庭に自家用車があり、食卓の風景も洋風へと変化していった。
程度の差こそあれ、誰でも生活が改善していくことを実感できた。
特別に誰かと競争しなくても、誰かに勝たなくても、ある程度の生活の向上があった。そのことに満足しない、一部の(どの分野であれ)「優等生」が、高い目標を思っていたように思う。
親や教師は、私たちを激励した。「頑張れ、頑張れ。そしていい学校に入り、いい会社に入れ。エリートになれ」と言って、現状に満足させずに、もっといい生活を送らせることを望んだ。
普通以下の成績の私には、まったく響かなかった。それは「競争心がない」と批判されても、競争心を持つ必要性を感じなかったといったほうがいいかもしれない。
そして今。
見かけ上は、かつてと同じ「競争心がない、競争心に欠ける」児童・生徒がいる。現在は、競争心や向上心や野心がなくても、普通程度の生活を送ることができるわけではないのに。
競争心が欠けている背景は、私たちのころとは違っていると思う。前述の通り、私たちのころは、努力などせずともある程度の生活ができた。そして「終身雇用」と「年功序列型賃金」で、老いるまで安泰だと考えられた。
今は違う。不謹慎なことは承知で言うが、小学校と中学校の生活で、教師に「飼いならされた」状態のように思う。
自主性と言いながら、校則でがんじがらめな学校生活。反対意見は言えないホームルーム。板書通りにノート作りをしなければならない授業。わからないことを質問しても「自分で考えろ」と言われる。「じっくり考えて解く」ではなく、膨大な問題数を公式などの「解き方で処理していく」定期テスト。宿泊学習や修学旅行、運動会などの行事でも同様だ。すべて先生たちの指導に従わなければならない。教わった通りにしなければならない。自分の考えをさしはさんではいけない。「はい」しか言えない。
競争心や向上心など持てない生徒だらけになるのもわかる。思考が停止している状態だからだ。
教育の役割は「知識の伝達」ではない。
そうは思わない、なぜだろう、こうだったらどうなるのか、他に方法はないのか。考える内容は山ほどある。そのひとつひとつに丁寧に向き合い、教師と生徒がともに成長することこそが教育であるはずだ。そしてともに成長する教育があるからこそ、競争心や向上心が生まれるのだと思う。

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