ある日の授業風景
(授業中)
私「以上のことは、塾ホームページの、塾長ブログにも書いたことがあります。」
生徒「そういえば、そのブログ、最近は全然書いていませんよね。」
私「人聞きの悪いことを言ってはいけない。書きたいことはたくさんあるんだけど、それを読んだ方たちに、私が曲解されるかもしれないと思うと、つい書けなくなるんだ。」
しまった。これでは私に文章作成能力がないことを自白したようなものだ。彼女には説明が必要だ。
私「たとえば政治や思想のことを書こうとするよね。本当を言うと、政治も思想も知らないんだけどね。ブログという限られた文字数で書いた場合、私が保守またはリベラルに偏った考え方をしていると誤解されるかもしれない。知らないことを知ったふりして書いて、しかも曲解されるなんて、たまったものじゃない。」
しまった。文章作成能力のなさが、知識のなさと表現力のなさが原因だと断言したようなものだ。説明が足りない。
私「だからといって、短い言葉で書こうにも、僕の考えを表す言葉が見当たらないんだ。」
しまった。知識不足・表現力不足に加え、語彙力不足も自白してしまった。
それは僕の語彙が足りないんじゃなくて、人の考えや気持ちを表現するには、日本語の単語があまりにも少なすぎるんだ。つまり、日本語は欠陥だらけの言語なんだ。と言おうとしたが、どう考えても、それは言い訳にしか聞こえない(事実、言い訳だ)。
そこで私は、声高らかに宣言した。
私「わかった。じゃ、今週中にブログを書くよ。約束しよう。」
表現力がなかろうと、知識がなかろうと、語彙力がなかろうと、言い訳がましかろうと、最後は講師らしく、ビシッと約束で締めたところは評価に値する(と思う)。
そして私は、こうして約束を守った。