夢を与える
「僕の優勝が、みなさんに夢を与えられて、とても嬉しいです。」
「君の活躍が、国民に希望を与えるんだ。」
気になる。なんか気になる。この「与える」が。
夢を「与える」、希望を「与える」。ものすごく高いところから、ものすごく低いところの人たちに向かって言っているような気がする。
英語の「give」を初めて学ぶとき、それは「~を与える」と訳すことが一般的だ。しかしだからと言って、
I will some water to flowers. を「私は、花に水をやります(与えます)。」と訳すことはあるだろうが、
I will give him this book. を「私は彼に、この本を与えます。」と訳すだろうか。
犬にエサを与えることはあるが、友達にお菓子を与えるだろうか。友達には「あげる」のではないか。
お誕生日には花を「与える」のではなく、「贈る」のではなかろうか。
高いところから言っているつもりも、悪気があって言っているのではないことも、十分に承知している。
またこの言葉(与える)が、必ずしも目下に対するときだけの言葉ではないことも承知している。
でもやっぱり、なんか気になる。
気になるといえば、「~しかない」も気になる。
「監督には、感謝しかありません。」
「この結果には、驚きしかありません。」
おそらく、心から感謝していることを伝えたいのだろうし、予想もできなかった結果に大いに驚いていることを伝えたいのだろうことは想像できる。
それにしても、「感謝しかない」「驚きしかない」は、どうも薄っぺらい感じがする。
「勇気を与えてくれたみなさんには、感謝しかありません。」よりも、
「いつも僕を勇気づけてくれたみなさんには、お礼の言葉もありません。心から感謝しております。」
これでは、「感謝の気持ち」が伝わらないのかなぁ。