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2019年5月 1日

予想通り、平成最後の日と令和初日をまたぐ時間に、大勢の若者が渋谷に集まった。

改元だからといって踊ったり、変な化粧をしたり、大酒を飲むことにどんな意味があるのか理解に苦しむ。でも、まぁそれは個人の嗜好だから、私がとやかく言うことでもない。

ところが早朝のニュースを見て、かなりガッカリした。

そのニュースの天気予報のコーナーでは、渋谷のスクランブル交差点が映し出される。映し出された交差点がゴミだらけだったのだ。

平成天皇への感謝と令和への改元と新天皇の即位を寿ぐかたちはさまざまだろう。大騒ぎをしようが何をしようが、本人の責任の範囲内でやるなら、それはいい。

しかし、お祝いのあと「ゴミだらけのままで知らん顔」でいいのか? いや、そもそも、ちらかし放題のお祝いは、お祝いか?

改元とそれに伴う新天皇の即位は、アメリカやイギリス、フランスなど、多くの国で好意的に報道されている。それは、平成天皇が「日本国民の象徴」として、称えられるにふさわしいということだろう。

では、象徴している国民とはどんな国民なのか。私たちの国の天皇は、自国の象徴たる天皇の即位を祝ったあとかたづけもできない国民を象徴しているのか。あるいは、自分が住んでいる街でも他人が住んでいる街でも、その街を汚したまま(大騒ぎとは無関係な人に掃除をさせて)でも平気でいられる国民を象徴しているのか。

サッカーのワールドカップでも、ハロウィンでも大晦日でも、自分が何を祝っているのかをよく考えたいものだ。

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