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2015年4月27日

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ありがたいことに、学校の先生も読んでくれているようだ。

先生と話をしているうちに、「教育のプロたちは、これを読んで、私に、あるいは塾業界に失望するだろうか。」って、少し考えた。

そこで自分の弱さに気づく。常日頃、「塾講師は学校教師以上に研鑽を重ねている。予習・復習・指導方法・個別対応その他、どれをとっても、学校教師を凌いでなければならない」と思っているはずなのに。

司法試験受験指導校を含めると、教育業界に就いて20年を超える。それでも、私よりも経験の少ない若い学校教師と話をしていると、「この教師はスゴイんじゃないか。」と思う。

まだまだ努力が足りないってことだ。

先生たち、頑張ってください。きっと私は、もっともっと頑張ってみせます。

そして子どもたち、よく見ていろ。学んでいる君の努力など、教える俺たちの努力には足元にも及ばないぞ。悔しかったら、いつの日か、俺たちを超えてみろ。

2015年3月31日

怖い講師、楽しい講師

この塾で、塾生による私の評価はふたつに分かれる。

ひとつは「怖い先生」で、もうひとつは「楽しい先生」である。そう、塾生によって、私の評価は両極端に分かれるのである。

私を「怖い」と思う塾生のタイプは、勉強をしない塾生であり、努力を惜しむ塾生である。私がどれほど熱心に指導しても、宿題や課題に対して真剣に取り組まないかぎり、決して「できる」ようにはならない。だから厳しく指導する。勉強とは厳しいものだとわかってほしいからである。

一方、私を「楽しい」と思う塾生は、言うまでもなく、努力している塾生である。たとえ結果に出なくても、努力しているかぎり、かならず「できる」ようになる。いや、「できる」ようにする。

頑張っているのだから、励ますことはあっても、叱ることはない。

わからないから塾に来るのだ。塾に来ても「わからない」となると、それは教えている私のせいだ。わからないときに塾生を叱るのはお門違いというものだ。

私に叱られない秘訣、それは、「がんばること」である。

2015年1月13日

塾をさがす

光輝学院は厳しい。よく言われます。

「あなたに合わせた授業をします」?

あなたに合わせたのでは、いつまでたっても先に進めません。合わせるのは「目標」です。

「習い事の都合に合わせた時間割」?

違います。遊びに合わせた仕事がないように、これもまた、ありません。勉強に合わせた習い事をしなければなりません。

「わからなくなったところまで戻りましょう」?

そんな時間と費用があるのでしょうか。現在の勉強をしながら過去を復習しなければなりません。

光輝学院は厳しい? いえ、厳しいのは「勉強」です。勉強ができるようになるには甘えは許されないからです。

限られた時間で、あなたに合わせながら、習い事の時間を邪魔しないように、わからなくなったところまで戻って、そして「できる」ようにする。私にはムリです。

2014年9月 1日

夏期講習が終わった

が、今日からまた、全力疾走開始だ!

何しろ、今年の中3生は気合が入っている。夏休みは(ほぼ)毎日、塾に来た。しかも自宅で朝学習をする。そして塾で、9時間の授業を受けて帰る。帰った後は、3時間程度の勉強をしている。

その後で、夏期講習が終わったからといって、のんびりしていられるか?

よし、みんな! ついて来い!! 走って、走って、走り続けろ! 疲れたら、少しは休んでもいい。待っていてやる。でも、すぐ立ち上がれ。

「がんばらなくてもいい」なんてセリフは、目指すものがないヤツに言わせとけ。

オレたちは頑張りぬくぞ。

「できない」ってのは、できるまでやらなかったヤツに言わせとけ。

オレたちは、できるまで絶対にあきらめないぞ。

オレたちは、一生頑張らなければならないんだ。生きるってな、そういうもんなんだ。だから、こんなところで挫けちゃいけないんだ。

さぁ、立て。行くぞ。

2014年3月25日

卒業の言葉

今日は、愚息の小学校卒業式だった。厳かに式は進んだが、ひとつ気になることがある。

なぜ校長の言葉は、あれほどつまらないのか。通り一遍の、卒業していく児童に対する想いを感じない言葉なのか。

小学校生活には、どれほど望んでも、二度と戻ることはできない。その最後の日に、印象に残る言葉が聞けない。とても残念に思う。

中国の故事も四字熟語も、歴史上の人物の話も、私ならいらない。

校長が、思いのこもった話を、自身の言葉で、普段の言葉遣いで、してほしかった。

2014年1月22日

入学試験

いよいよ入学試験が始まった。

こんなことを覚えて何になるのか、と言う。

大人になって数学が役に立つのか、とも言う。

大人になったことがないのに、きいた風な口を利くな。

覚えたことや解いたことは「役に立つもの」ではない。「役に立てるもの」だ。

入試制度を批判するのはいい。しかし忘れるな。どれほど悪い入試制度であろうとも、同じ試験を受けなければならないという点は、今も昔も受験生みな平等だ。できない言い訳にはならない。

君がしなければならないことは、ただひたすら勉強することだ。

2013年11月18日

冬期講習

冬期講習の日程が確定した。いつものように、中2生は、とんでもないくらいに勉強してもらうことになる。自分で日程を作っておきながら、うんざりするくらいの授業数である。そう、この「うんざり」のために塾を始めたのである。

いいか塾生諸君、僕に負けるなよ。君たちに「頑張れ」と言うからには、僕も負けないくらい頑張る。

頑張れば必ず結果がついてくる、などとは思っていない。頑張っても思い通りの結果を手にできない人も数え切れないくらいの人数だろう。でも、頑張らなければ絶対に結果は出ない。

結果を選べない僕らにできることは、やはり、頑張る以外にないのである。

2013年10月16日

アメとムチ

わが塾では、いい回答や単語テストで満点をとると、アメがもらえる。

ちゃんと評価しているぞって伝えたくて始めたことだが、塾生には思いのほか好評である。

しかし、めったにもらえないものだから、自分でアメを買ってくるようになった。

それでも、評価された「賞」としてもらったアメと、自分で買ったアメでは味が違うらしい。

何かというと、「この問題が解けたらアメをもらえる?」と訴えてくる。

最近では、保護者の方からアメを差し入れられることもある。

すると大騒ぎだ。なぜなら、私が用意するアメは、いつも100円ショップで買うものであり、

いただくアメは、それよりも高価なものであるからだ。

しっかり頑張れ。アメは、どれほど集めても、アメであることに変わりはない。

しかし、塾でもらうアメの積み重ねは、ダイヤモンドより輝く栄光になりうる。

2013年9月23日

教育ってのは

塾では、いい回答をしたり、単語テストで優秀な成績だった場合にアメをもらえる。でも、これも教育だ。もらったときは「ありがとうございます」を言わなければいけないし、アメの包みを床に落としたままだと、次回からもらえない。

要するに、当塾の「勉強」とは、ただ単に英語数学理科社会を学ぶことではない。教科は「知識」と「教養」を身に付けはするが、「マナー」までは至らない。マナーを教えない教育は、単なる「知識の伝達」である。

発言の仕方、表現方法、他者への配慮などなど、教科を通じて教えなければならないことは、塾には、たくさんある。

2013年9月18日

学校公開

この時期、多くの学校で授業公開を行っている。

気づくことは、ほとんどの教師に「意欲」を感じない点だ。自分が担当している教科を生徒にわかってもらいたい、面白い学問だと気づいてほしい、できるようにしたい、などが伝わってこない。

眠っていても、後ろの生徒と話をしていても、机の下で小説を読んでいても、一向に注意しない。ただブツブツと、念仏でも唱えているように、またはひとり言のように喋り続けるだけだ。

そして定期テストはといえば、去年と全く同じものを使う。

そんなことをするために「先生」と呼ばれる仕事に就いたのかと、憤りさえ覚えることがある。

すべての公立中学校を見たわけではないことが、唯一の救いかもしれない。