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2016年9月29日

先日、新聞の投書欄に「ファミリーレストランで、帽子を取らずに食事をしている若者を見た。これは行儀が悪いのではないか。」という意見が載り、それに対する意見が2つあった。ひとつは「そのとおりだ。食事中には帽子は取るべきだ」というものと、「帽子を被ったまま食事をすることは個人の価値観であり、それを他人がとやかく言うべきではない。」である。
帽子を被ったまま食事をすることは、あきらかなマナー違反である。勘違いをしてはいけない、と思う。個人の価値観は「社会の常識」や「マナー」を超えてはならない。これらは国や地域固有のものであるから、ある国では許されることでも、別の国では常識的に許されないものである。それでも、アメリカ合衆国やイギリスなどの(先進国とされる)国で、帽子を被ったまま食事することが許されているなどとは聞いたことがない。自分のしたいようにする、ということは大いに結構である。しかし、それは「社会通念上、許される範囲で」という前提付きなのである。

「勘違い」をあと2つ挙げたい。
最近、歩きながらパンやおにぎりを食べている人を見かける。おそらくニューヨーカーを気取っているのだろうが、これも大きな勘違いである。ニューヨークでは、歩道でたくさんの(手軽に食べられるホットドッグやハンバーガーなどの)食べ物を売っている。しかし、それを買って、歩きながら食べる人は多くない。たいていが事務所や家に持ち帰るか、市立図書館や公園などで、座って食べている。歩きながらものを食べると、「行儀が悪い」「他人の服を汚してしまうかもしれない」「ゴミが出る」など、困ることが多いからである。歩きながら食べる人は、「座って食べるだけの時間がない(ほど仕事ができる)人」か「座って食べるだけの金がない人」だろう。日本で、座って食べる時間がないほどの若者が多いとは思えない。すると、やはり歩きながらの食事は避けたほうがいいだろう。

また、不登校の生徒や受験を馬鹿にする生徒も「勘違い」である。「学校の授業が何の役に立つんだ?」「そんなに受験って大事なこと?」「高校に行って、何をするの?」などと言って学校を休んだり受験勉強をしない生徒がいる。勘違いしてはいけない。勉強は「役に立つ」ものではなく「役に立たせる」ものである。勉強したからといって、それが自動的に何かの役に立つわけではない。自分が困ったときや何かを始めたいときに、学んできたことをどうやって活かすかは本人しだいである。受験勉強の大切さも、ここで述べたことがある。受験勉強は、ただ単に「高校合格」を手に入れるための期間ではない。自分の目標を見つけ、それに向かって努力する。そのためには「忍耐力」や「自己管理能力」「表現力」「論理的思考力」などが必要とされ、それを受験勉強を通じて身につける期間である。目指す高校には合格するかもしれないし、しないかもしれない。しかし、この期間で身につけた数々の能力は(努力を続ける限り)減ることはない。そして「りっぱな人」になっていくのだと思う。
勉強が役に立たないと言って勉強をしない人が、学校に行かずに何をしているか。おそらくゲーム三昧、ネット三昧が関の山だろう。では、ゲームやネットが何かの役に立つのか。高校受験を馬鹿にして勉強をしない人も同じだ。君のしたいこととはゲームやネットで遊ぶことか。

みんながしているから自分もしなければならないとは思わない。しかし、自分の行為が他の誰かを不快にしたり、社会に迷惑を掛ける行為は慎まなければならない。一般的には筋の通らない主張をすることも控えるべきだ。要するに、個人の意思は尊重されなければならないが、何でも許されるわけではないことを知るべきだ。
「価値観」という言葉は、そんなに軽々しいものではない。

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