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2017年10月17日

あの高速道路での事件から、自動車での割り込みやあおり運転による事件がの報道が増えた。

この種の「いやがらせ」は昔からあった。若葉マークの付いた車に幅寄せをしたり、車間距離をほとんどとらず、後ろにピッタリついたり。

でも、暴力事件や今回のような悲惨な事故につながるほどのことまでは発展しなかった。

なぜ今、こんなことになっているのか考えた。

いつものように、私は塾という仕事柄、教育という観点である。

保育園/幼稚園、小学校と、「差のない教育」が展開されている。運動会の徒競走では、あらかじめ個人の速さを計り、同じような速さの児童が競争する。そうすれば、グループで、著しく速かったり遅かったりする児童が出ることはない。

また学芸会などでも、主役あるいは主役に準ずる役割が何人もいたり(シンデレラが5人とか)、石や木の役割がなかったりする。

そうすることで、「できる児童」「できない児童」をあいまいにしているのだ。くやしい思いや恥ずかしい思いをする児童を出したくないからだ。

全力で走ったけど、負けた。自分の努力は実を結ばなかった。主役をやりたかったけど、できなかった。もっと演技がうまい人がいた。こういう思いを経験することは間違いなのか?

社会に出れば、努力がいつも実るわけではないし、努力とは関係ないことで評価されることもある。いろいろな意味で、後から来た者に追い越されることも珍しくない。それは幼いころから学ばなければならないのではないか。そうすることで、もっと努力をしようとする意志が育てられ、その能力がなければ他の分野で努力することも考えるだろう。あるいは、そこで謙虚な姿勢も育てられるだろう。

そんな教育を受けずに、「みんな同じ」と、学校ではつらい思いをさせてくれない。

そして大人になって、自分が気に入らないことをされるとキレる。みんな同じじゃないか。オレの前に出るな。

謙虚な姿勢も育っていない。生意気なヤツだ。おい、外にでろ。

誰もが自分ひとりで生きているわけではない。助けたり助けられたりして生きていく。互いに思いやりながら生きていかなければならないのに、そのことに気づかない。

子ども時代は嬉しいことや楽しいことばかりじゃない。くやしい思いや辛い思い、嫉妬もあれば羨望もある。そういった、むしろネガティブな感情こそ大事だ。それを抑える理性を育てられるからだ。

高速道路の事件で逮捕された男は、何を反省しなければいけないかがわかっているのだろうか。

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