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2019年4月 3日

世間は新しい年号について、いろいろと喧しい。

特に気になるのが、「新元号について、どう思われますか?」などという、一般国民に問いかける、意味のない質問である。

「意味がない」とは、つまりこういうことだ。新元号を検討したのも決定したのも、われわれ一般国民ではない。だから、国民が「いい元号だとは思わない」と考えたからといっても、何も変わらない。決定した年号が新しく検討しなおされることはない。だから、その質問には意味がない、ということだ。

もちろん、考えなければならないことはある。

たとえば、なぜそれほど「国文」にこだわるのか。漢字がすでに中国から伝わってきた文字である以上、中国文化の影響は免れにくい。いかに古事記といえども同様だ。いや、むしろ古事記がつくられた時代ならなおさら中国の影響を受けているのではないか。

また、選ばれた「令」と「和」が一続きの熟語「令和」として古事記の歌に記載されているのならともかく、歌の中に別々に使われた2つの文字をひとつに合わせた言葉である。

それを「古事記から選んだ言葉」としていいのか。

いい名前なら、日本発祥だろうが中国発祥だろうが、どちらでもいいじゃないか。私は、そう思う。

おや? これは日本国憲法のことを書いた時にも言った気がする。いい憲法なら、日本が作ろうがアメリカがつくろうが、どちらでもいいじゃないか。

おっと、話がそれてしまった。

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