街灯の下で鍵をさがす人
経済学で使われるらしいが、こんな話がある。
ある夜、公園の街灯の下で、何かを探している人がいる。
そこを通りがかった人が、「何を探しているんですか?」と訊くと、「鍵を失くしたんです。」と答える。
「どのあたりで失くしたんですか?」と訊くと、こう答えた。「向こうの暗いほうです。でも暗くて探しにくいんで、明るい街灯の下を探しています。」
この話は、私が「勉強とは何か」という話をするときに、引用するひとつだ。
例えば受験勉強は、ある一定期間で、希望する高校に合格する学力を身につけなければならない。その学力は、「覚えること」「理解すること」「解くこと」を繰り返し続けることで身につく。
でも大抵の中学生(私もそのひとりだったが)は、英単語や熟語、漢字やことば、世界史や日本史の出来事などを覚えることが苦手だ。というか、苦痛だ。しかも(例えば歴史分野などは)機械的に覚えるだけでは忘れてしまう。覚えても覚えても、すぐに忘れる。あるいは他の何かと混乱する。とても正確に覚えきれるものではない。だから、理解しながら覚えていかなければならない。理解するには質問したり、調べたり、とても手間がかかる。そして問題を解いても、覚えたはずのことや理解していたはずのことができなかったりする。
それでも続けなければならない。勉強とはそういうものだ。どれほど苦痛でも、それをしなければ学問が身につかないなら、決して避けてはならない。暗い闇の中を手探りで、君は君の勉強方法を探し続けなければならない。誰にも当てはまる勉強方法などない。君の勉強方法は、君だけのものだ。そしてその勉強方法は、君以外の誰にもみつけられない。だから誰かが君に、君の勉強方法を教えることもできない。
明るい場所を、誰かと何年かけて探そうが、そこには鍵はない。


















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