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2015年9月15日

先日、塾生が通う2つの中学校で公開授業があったので参観に行った。

いつか書いたが、どちらの学校も、どの学年も、どの教科も、退屈な授業が展開されている。

先生、あなたは、その教科の何を教えたいのですか。生徒に何を伝えたいのですか。あなた自身、その教科が好きですか。そのすばらしさを本当に伝えたいと思っていますか。

そう訊きたい。

もうひとつ。

生徒が、どちらの学校も、どの学年も、どの教科も、みんなが同じ顔をして座っている。そう、「授業を受けている」のではなく、ただ「座っている」のだ。みんな、無表情で。

その教科が好きでもなく、嫌悪するでもなく、先生が好きでもなく、嫌悪するでもなく。無表情に座っているだけだ。

休み時間になっても、それは変わらない。

教室や廊下が喧騒にあふれて、先生が生徒を呼ぶ声さえ届かない、そういう休み時間を想像していた。でも違った。

暴れろとは言わないし、授業に集中しろとも言わない。

しかし、せめて、先生が本気になる一歩手前まで反抗する生徒がいてもいいじゃないか。

クラスに何人かは、授業に集中している生徒がいてもいいじゃないか。

みんなおとなしく、勉強も遊びも部活も友達関係も、何もかも「そこそこ」に済ませる。

教育が目指すものとは、そんな子どもにすることなのか。

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