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2022年1月31日

何か悩みがあるときや困ったことが起こった話を聴いたとき、人はよく「止まない雨はないよ。必ず解決するから頑張れ」などと言う。私は、この言葉がなぜ励ましの言葉になるのかがわからない。例えば、自分の子供がグレてしまって手が付けられない状態になったとき、まるで雨が止むように、その子の状態は自然に改善していくのだろうか。

そう。雨が止んだり夜が明けたりするのは、それは自然の摂理だからである。一方、まじめな人の態度が悪くなったり事件や事故が起きるのは、自然の摂理ではなく、人が行動を選択した結果である。自動車を運転するから事故が起きるのであって、運転すると決めなければ事故は起きなかったのである。だから雨がいつか止むからといって、夜がいつか明けるからといって、それを人に起きた出来事にまで当てはめるのは無理があるだろう。

また「努力は実る」とか「努力はウソをつかない」とも言う。これもまた、そんなことはないだろうと思う。最も激しい努力をした人がオリンピックに出場できるか?出場できなかった人は努力不足なのか?努力すれば、必ず試験に合格できるか?試験の得点順位は、必ず努力量に比例するのか?

むしろ、ウソをつかないのは「努力」ではなく、「怠慢」であろう。努力しても希望がかなわないことがあるが、怠けていれば(ほぼ)間違いなく希望通りにはならない。

結局のところ私たちは、望む結果に向かって、ひたすら努力を続けることしかできないのだろう。そして、努力の結果に対しては、受け入れることしかできないのだろう。雨が止むのを待つヒマがあったら努力をせよ。努力が実ることを祈るのではなく、実る努力をせよ。そして、望まない結果が出たとしても、ひたすら耐えよ。そしてまた、立ち上がれ。

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