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2020年3月13日

「勉強ができなくても、できることは何?」塾生に訊いてみた。

これに対する答えが、「昼寝」「ゲーム」「穴を掘る」「散歩」などなど。

「絵を描く」というのもあったが、それは才能が必要だから、却下。

「勉強ができる人が、できることは何?」

これの答えは「読書」「サラリーマン」「お店の経営」などなど。

 

次の質問。

「昼寝やゲームって、毎日、朝昼晩やって、楽しいか?」

これには「さすがに、毎日となると...。」「1日中、穴を掘るのも...。」

「今日も読書、明日も読書。さぁ、仕事がんばるぞ。ってのは、あり?」

回答は「それは、ある。」「本が好きなら、毎日でも読みたい。」

 

私「勉強ができる人でも、ゲームはする?」

塾生「少しは、する。」

私「ゲームばっかりやっている人は、勉強する?」

塾生「あんまりしないんじゃない?する人もいるだろうけど...。」

 

ということは、勉強ができる人がすることは、飽きることがない事柄が多いということではないだろうか。ます、勉強自体が飽きることがない。勉強して、わからなかったことがわかると、次に新たな疑問がわく。そしてそれがわかると、また新たな...。勉強したいことは、尽きることがない。これは読書だろうが仕事だろうが同じことだ。本も仕事も、わかると(あるいは、できると)次々と手にしたくなる。

つまり、「おもしろい」のだろう。

そう。勉強や、勉強のおかげでできることは「おもしろい」。勉強を「努力」と置き換えてもいい。努力することで身についた力は、使えば使うほど「おもしろい」。

次に、努力した人だけができることは、努力していない人にはできない。つまり、努力する人は「できることが多い」と言える。「選択肢が多い」とも言える。

 

以前、勉強(=努力)する理由として「価値観が身につく」と書いた。しかし、そんな難しいことを言うよりも、

「努力すると、おもしろいことができる」

「努力すると、できることが増える」

という、このふたつで十分だ。

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